横浜流星さん主演2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は江戸のメディア王と言われた「蔦重(つたじゅう)」こと蔦屋重三郎の物語ですが妻は橋本愛さん演じる「てい」ですが史実とは違う?蔦屋重三郎の妻「てい」についてと子供についてご紹介します。
べらぼうで蔦屋重三郎の妻は橋本愛演じる「てい」
大河ドラマ「べらぼう」とは?主人公は実在の江戸のメディア王「蔦屋重三郎」
まずは、以下、2025年の大河ドラマ「べらぼう」のストーリーです。
18世紀半ば、人口は100万を超え、天下泰平の中、世界有数の大都市へと発展した江戸。蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は、江戸郊外の吉原の貧しい庶民の子に生まれ、幼くして両親と生き別れ、引手茶屋の養子となる。 血のつながりをこえた人のつながりの中で育まれた蔦重は、貸本屋から身を興して、その後、書籍の編集・出版業をはじめる。 折しも、時の権力者・田沼意次(渡辺 謙)が創り出した自由な空気の中、江戸文化が花開き、平賀源内など多彩な文人が輩出。蔦重は、朋誠堂喜三二などの文化人たちと交流を重ね、「黄表紙本」という挿絵をふんだんにつかった書籍でヒット作を次々と連発。33歳で商業の中心地・日本橋に店を構えることになり、“江戸の出版王”へと成り上がっていく。 蔦重が見いだした才能は、喜多川歌麿(染谷将太)、山東京伝、葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一九といった若き個性豊かな才能たち。その多くは、のちの巨匠となり日本文化の礎となっていく。 しかし時世は移り変わり、田沼意次は失脚。代わりに台頭した松平定信による寛政の改革では、蔦重の自由さと政治風刺は問題になり、財産の半分を没収される処罰を受ける。周囲では江戸追放や死に追いやられるものもあらわれる…。蔦重は、その後も幕府からの執ような弾圧を受け続けるが、反権力を貫き通し、筆の力で戦い続ける。そんな中、蔦重の体を病魔が襲う…。 命の限りが迫る中、蔦重は決して奪われない壮大なエンターテインメント「写楽」を仕掛けるのだった…。
引用元:公式サイト
2025年1月5日(日)放送開始
大河ドラマ べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜
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— 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1/5放送開始 (@berabou_nhk) December 26, 2024
物語の主人公は実在の蔦屋重三郎。演じるのは人気俳優の横浜流星さんです。
舞台は天下泰平、文化隆盛の江戸時代中期で、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見いだし、日本史史上最大の謎のひとつ“東洲斎写楽”を世に送り出すなど「江戸のメディア王」として時代の寵児になった蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く物語です。
脚本を担当するのは、に「世界の中心で、愛をさけぶ」「JIN -仁-」「義母と娘のブルース」「天国と地獄~サイコな2人~」などなどヒット作を多数送り出している森下佳子さん。
◤脚本家・森下佳子さん、
#ドラマ10大奥 を語る!◢#大河べらぼう ではオリジナル脚本を執筆中の森下さん。大奥制作の舞台裏を語る記事で、べらぼうにも触れています👇https://t.co/ERhYlmqxPa#大奥リアタイ の皆さまも、よろしければ「コレもご縁!」と引き続き見守っていただけると…🙇 pic.twitter.com/WX4JnCyEUY
— 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1/5放送開始 (@berabou_nhk) December 5, 2023
NHKでは朝ドラ「ごちそうさん」大河ドラマ「おんな城主 直虎」ドラマ10「大奥」なども担当されています。
予告動画などを見ると、明るく見ていて元気になることができそうなキャラクターの蔦屋重三郎。
また描かれることが実は少ないという江戸時代中期がどのように大河ドラマで表現されるのか?個人的にも楽しみです。
妻は橋本愛演じる「てい」
そんな大河ドラマ「べらぼう」で主人公・重三郎の妻を演じるのは橋本愛さん!
名前は「てい」です。
とある市中の本屋の娘。謹厳実直で控えめな女性だが、それが故に損ばかりをしてきた過去をもつ。 ある種世慣れた女郎たちが集まる吉原で育った蔦重(横浜流星)にとっては非常に慣れないタイプの女性であり、ていにとっても蔦重はその出自も含めて受け入れがたい存在であった。 しかし「本を愛する」という一点については共通しており、それが二人の絆となり、いつしかかけがえのない存在となっていく。
引用元:公式サイト
【発表でーす】
2025年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
新たな出演者、蔦屋重三郎の妻役「てい」に、橋本愛さんの出演が決まりました。
▼橋本さんのコメントを読む▼https://t.co/veE7NfDJiJ
— NHK PR (@NHK_PR) June 10, 2024
本屋の娘で控えめな女性という「てい」。
全く違うタイプの2人ですが「本を愛する」と言う共通点で結ばれるようですね。
2人がどのように出会って、結婚するのか?詳しいネタバレはまた公開されていません。
演じる橋本愛さんといえば大河ドラマ「西郷どん」では西郷隆盛の最初の妻役、また大河ドラマ「青天を衝け」では渋沢栄一の妻役を演じていて、大河ドラマの主人公の妻役の定番女優さんという感じになっていますね。
それだけ、大役を任せられる実力を持つ女優さんと言うことだと思います。
蔦屋重三郎の妻「てい」は史実と違う?
蔦屋重三郎の妻「てい」は史実と違う?
そんな蔦屋重三郎の妻「てい」ですが、実は史実とは違う名前なんです。
と言うのも・・・蔦屋重三郎の妻についての史料はほとんどなく、名前もわかっていないとのこと。
ただ本屋の娘らしいという情報があります。ただはっきりとした情報ではないようです。
なので、ドラマ「べらぼう」の「てい」と言う名前は、ドラマオリジナルの名前です。
演じる橋本愛さんは「てい」を演じるにあたって、以下のようにコメントされています。
このたび蔦屋重三郎の妻、ていを演じさせていただきます。どんな人物であったのか、夫とどんな関係性であったのかなど、彼女についての情報は全くといっていいほど残されていません。だからこそ、森下さんの描くていの姿を、自由に、豊かに演じられたらと思います。
蔦屋重三郎という人物が一体どんなふうに描かれているのか、とても楽しみです。
彼について調べていくうちに抱いたイメージは、野心や反骨心、生命力に溢れる人だということです。
横浜さんがどのように演じられるのか、その姿を妻の立場として、どのような目線で見つめるのか。今はまだ未知ですが、とても楽しみにしています。
これまでに参加させていただいた大河ドラマの作品はどれも宝物で、その存在、その経験が私を生かしてくれている、と感じることが何度もあります。
今回の作品も自分にとって大事なものに、そして見てくださる方々にとって愛すべき存在となるよう、少しでも尽力できたらと思っています。
引用元:公式サイト
蔦屋重三郎に関する小説や登場する映画などでも妻は別の名前で描かれていました。
小説「稀代の本屋 蔦屋重三郎」や柳楽優弥さんが主人公の葛飾北斎を演じ、阿部寛さんが蔦屋重三郎を演じた映画「HOKUSAI」などでは「とよ(トヨ)」と言う名前で描かれていましたが、オリジナルの名前だと思われます。
シネマKING週末映画情報「コロナに負けるな!映画の力を信じて!」
▶︎続映『HOKUSAI』7/17(土)→名演小劇場にてhttps://t.co/Xw3Glip2cJ#HOKUSAI#コロナに負けるな#シネマKING#映画館に行こう pic.twitter.com/ARNCx7uiaj— C2[シーツー]シネマ情報局 (@CINEMACONNECTIO) July 15, 2021
蔦屋重三郎の年表などを調べてみたものの、いつ結婚したのか?子供は生まれたのか?など、詳細なことはわかりませんでした。
蔦屋重三郎のお墓に妻の記述も?
台東区の正法寺に建つ、蔦屋重三郎のお墓には親族が祭られていて、そこに「錬心院妙貞日義信女 文化八年十月十八日」と記載されているのが重三郎の妻では?と言われています。
蔦屋重三郎の墓碑 (正法寺)
ひとまず蔦屋重三郎さんにご挨拶してきました。#べらぼう #正法寺 pic.twitter.com/mbYL79nREq— 歴史情報局 (@rekishi_info) January 3, 2025
脚本家の森下佳子さんによると、妻についてだけでなく蔦屋重三郎に関する史料が少なく、よくわからない部分が多いとのこと。
なので、史実を元にオリジナルな部分も多いストーリーになっていくのでは?と思います。それだけに、蔦屋重三郎と妻との出会いのエピソードや関係性がどのように描かれるのか?個人的に楽しみです。
蔦屋重三郎の子供や子孫は?
蔦屋重三郎の両親・母親・父親とは?
妻についての情報があまりないことがわかりましたが、子供はいたのでしょうか?
まずは、蔦屋重三郎の両親・母親・父親についてご紹介します。
蔦屋重三郎の父親は丸山重助。そして母親の津与。
父親の重助は愛知県の出身、また母親は江戸生まれと言うこと以外は年齢、職業、住所などの情報は不明とのこと。
このように、蔦屋重三郎についての情報は少ないんですね。
ただ蔦屋重三郎が吉原で誕生していることはわかっているので、父親は吉原で何らかの仕事についていた人なのでは?と言われています。
そして蔦屋重三郎が8歳の時に、両親が離婚。母親は家を出ていきます。
そのため、蔦屋重三郎は吉原の喜多川(北川)家に養子に入ります。
喜多川家は「蔦屋」と言う屋号で吉原で引手茶屋(遊客を女郎屋に案内する茶屋)を営んでいました。
そこから蔦屋重三郎の呼称がつきました。
蔦屋重三郎の子供や子孫は?
先ほどもご紹介しましたが、蔦屋重三郎に関する妻の情報はなく、同じように子供がいたのか?という情報もありません。
なので子孫などの情報もありませんでした。
蔦屋重三郎は1797年(寛政9年)脚気により死去。
その後、蔦屋は番号の勇助が継いで「2代目蔦屋重三郎」を名乗りました。
蔦屋重三郎の死後は、蔦屋は出版事業が急速に衰退して、店舗「耕書堂」を構えていた通油町から転出します。
2代目の時に「葛飾北斎の狂歌本の装丁が華美すぎる」として処罰されるなど、受難があったものの、蔦屋は四代目まで続きました。
ちなみに話題になっている「蔦屋書店(TSUTAYA)」が蔦屋重三郎の子孫なのではと思う人も多いと思いますが、血縁関係はありません。
以下の記事に詳しくご紹介しています。
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