朝田のぶモデルは小松暢でやなせたかしの妻!出会いは実話と違う?

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NHK連続テレビ小説・朝ドラ「あんぱん」の今田美桜さん演じるヒロインの朝田のぶ(あさだのぶ)のモデルはアンパンマンの作者・やなせたかしさんと妻の小松暢さんです。「あんぱん」の朝田のぶのモデルは誰なのか?史実や生涯をご紹介します。出会いはドラマと違う?

目次

朝ドラ「あんぱん」のヒロイン・朝田のぶとは?

朝ドラ「あんぱん」とは

「あんぱん」は2025年3月31日からスタートする、第112作目となる朝ドラ。

「アンパンマン」の作者である、やなせたかしさんとその妻、小松暢さんをモデルとし、フィクションで描かれた作品です。

主人公のヒロイン、朝田信役を今田美桜さん、やなせたかしさんをモデルとした柳井嵩役を北村匠海さんが演じます。

NHK連続テレビ小説「あんぱん」。“アンパンマン”を生み出したやなせたかしと暢の夫婦をモデルに、生きる意味も失っていた苦悩の日々と、それでも夢を忘れなかった二人の人生。何者でもなかった二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現した『アンパンマン』にたどり着くまでを描き、生きる喜びが全身から湧いてくるような愛と勇気の物語です。

引用元 公式サイト

脚本を手掛けたのは、朝ドラ「花子とアン」や、大河ドラマ「西郷どん」などの中園ミホさん。

最近ではドラマ「ザ・トラベルナース」「Doctor-X 外科医・大門未知子 第7シリーズ」などを手がけました。

他にキャストは加瀬亮さん、江口のりこさん、竹野内豊さん、阿部サダヲさん、松嶋菜々子さんなど豪華な顔ぶれです(≧∇≦)

朝田のぶは今田美桜演じるヒロインで柳井嵩の幼馴染

朝田 のぶ(あさだ のぶ)演・今田美桜

高知で祖父母・両親の愛情をたっぷり受けて育つ。三姉妹の長女。県大会で優勝するほど足が速く、行動力とスピード感にあふれ、人生の荒波をパワフルに乗り越えていく主人公で、持ち前の男勝りで勝気な性格から「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」とも呼ばれる。ちょっと気が弱くて自信のない柳井嵩(やない たかし)と出会って激動の時代を共に生き、どんな時も励まし、けん引し続けた。

引用元 公式サイト

朝田のぶは、今田美桜さん演じる「あんぱん」の主人公・ヒロインです。

やなせたかしさんがモデルの柳井嵩(やないたかし)と子供のころに出会う、幼馴染です。

「ハチキン」とは土佐ことばで「男勝りの女性」という意味。

1週目はヒロインの子供時代から始まります!

ヒロインの朝田のぶと少年時代の柳井嵩の出会いが描かれます。

以下の記事では、1週目に登場する柳井嵩の松嶋菜々子さん演じる母親のモデルについてご紹介しています。

やなせたかしの母親の再婚など柳瀬登喜子とは?美人でモテてた?

個人的にも子役パートがある朝ドラが大好きなので楽しみです。

父はのぶにこう言いました。

「おなごも遠慮せんと、大志を抱け」

やがてのぶは、教師になるという夢を見つけ、父の言葉通りに思いっ切る突っ走ります!

朝田のぶのモデルは小松暢でやなせたかしの妻!出会いは朝ドラ「あんぱん」と違う?

NHK連続テレビ小説「あんぱん」は「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんとその妻、小松暢さんご夫妻をモデルにしたフィクションです。

小松暢とは?ドキンちゃんのモデル?

小松暢さんは朝ドラ「あんぱん」のヒロイン、朝田のぶと同じで、『ハチキンおのぶ』『韋駄天おのぶ』と呼ばれていたそうです。

脚本家の中園ミホさんはこんなコメントを。

彼女は、あの『アンパンマン』に登場する『ドキンちゃん』のモデルと言われています。いつも好奇心に目を輝かせ、『おなかがすいた~!』というのが口癖のチャーミングな妖精です

やなせたかしさんも、こんなコメントをされていました。

「ドキンちゃんはなぜか僕の母親の面影があり、性質は妻に似ている」

小松暢さんは強さとかわいらしさを兼ね備え、それでいて素直な面もある魅力的の女性です。

小松暢さんは1918年に大阪で生まれました。父親が高知県出身です。

周囲には「高知出身」と語っていたそうです。

幼いころから毛皮のコートを着るなど、裕福な暮らしをされていました。父親は当時日本一といわれた商社、鈴木商店に勤務されていたそうです。

ですが小学校の入学前後に父親が亡くなります。

最初の結婚

大阪の高等女学校を卒業され、1939年に6歳年上の男性とご結婚されます。

その男性は、日本郵船に勤務する小松総一郎さん。父親の姓は池田ですが、ここで苗字が小松になります。

総一郎さんはとてもハイカラな人物で、ライカのカメラを暢さんにプレゼントしたとか(≧∇≦)

総一郎さんは戦中、一等機関士として招集され、戦後直後に病死されました。

未亡人となった小松暢さんは、1946年27歳のとき、高知新聞社に入社します。

小松暢さんは1946年に高知新聞社が初採用した、女性記者2人のうちのおひとり。31人のなかから選ばれたそうです!

やなせたかしさんは小松暢さんより、数カ月後に入社してきました。

朝ドラ「あんぱん」では高知生まれで、柳井嵩とは高知の小学校の同級生として描かれますが、やなせたかしさんとは実際には高知新聞社で出会っています。

やなせたかしとの出会いは大人になってからで朝ドラ「あんぱん」と違う

やなせたかしさんは社会部から文化総合雑誌「月刊高知」編集部に異動され、そこで小松暢さんに一目惚れ(≧∇≦)

そう、朝ドラ「あんぱん」では子供時代に出会っている幼馴染の2人ですが、実話では、2人の出会いは大人になってからの同僚でした。

小松暢さんら5人のスタッフは取材や編集、広告取りなどをされ、やなせたかしさんは挿絵や広告カットを一任されていたそうです。

小松暢さんとやなせたかしさんは、ほかの2名と東京に取材に行くことになり、闇市で購入したおでんで食中毒になります。

原因となった竹輪とつみれは、小松暢さんが男性たちに取り分けていて、ご自身では口にしなかったので、小松暢さんだけ無事でした。

数日間小松暢さんは、かいがいしくみんなを看病され、最初に回復したやなせたかしさんと仕事に取り掛かります。

小松暢さんの行動力や優しさなどに惹かれた、やなせたかしさん。すっかり恋に落ちました。

別の男性からの求婚

無事東京での仕事を終え、高知に戻った4人。やなせたかしさんはある日、小松暢さんが求婚されていることを聞かされます。

当時は記者が広告料を集金していたのですが、一向に払ってくれない広告主に激怒した小松暢さん。

ハンドバッグを投げつけ、「払うのか払わないのか、ハッキリしなさい!」と詰め寄ったのです。

それを求婚してきた男性が見ていて、海外暮らしが長かったことから、日本にもこんな女性がいるのかと小松暢さんに一目惚れ♪

何度もプロポーズをしていたそうです。

「どうしようかしら?」

小松暢さんに聞かれたやなせたかしさんは、「結婚すればいい」と心にもないことを口走ってしまいます。

「あなたの子どもを産みたい」

小松暢さんにそう言われたやなせたかしさんは、強く抱きしめました。

東京へ

小松暢さんはかつての上司が東京で代議士となり、秘書としてスカウトされます。

「先に上京して待ってるわ」と言い、上京していきました。

やなせたかしさんは、それから半年後に上京。ふたりは小松暢さんの下宿先で暮らし始めます。

当時20代だったふたりの暮らしは貧しいものでしたが、ふたりは幸福に包まれていました。

小松暢とやなせたかしはどんな夫婦だった?

三越に就職

やなせたかしさんは漫画家を目指していましたが、売れるまでは食うや食わずの世界。

貧乏を嫌い、三越の宣伝部の試験を受け、合格しました。

5年が経ち、収入も増えましたが、ある日ストライキが起きます。

対立する会社側と社員側。会社側の勝利となりましたが、その後もゴタゴタが続き、やなせたかしさんは嫌気がさし、1953年に退社を決意。

漫画家として食べて行けるのか不安でしたが、小松暢さんがこんな頼もしいことを言います。

「収入がなければ私が食べさせてあげる」

フリーに

フリーで働くようになったやなせたかしさん。週刊誌にマンガを連載するなど、セミプロとして活動されていました。

だんだん漫画家としての才能が開き始め、25本の連載を持つように(≧∇≦)

NHKのクイズ番組「まんが学校」に出演するようになり、知名度が爆上がりします!

子ども雑誌からのオファーが続き、やがてアンパンマンの原型が誕生します。

その後やなせたかしさんは時代の波に翻弄されながら、漫画家以外の仕事もされ、50歳を過ぎて「アンパンマン」の絵本を世に送り出しました。

やなせスタジオのスタッフから見た夫婦

小松暢さんと、お茶の稽古で知り合った越尾正子さん。小松暢さんは丁寧に教えてくれる先輩で、人のうわさ話などはしない、きちんとした人、という印象だったそうです。

出会いから10年後、小松暢さんが自宅で開いていたお稽古場に通うようになり、小松暢さんからスカウトされました。

やなせスタジオの経理を、小松暢さんの妹さんが担っていましたが、体調を崩したので代わりにやってほしいとのこと。

「カンタンだから」と言われ、引き受けましたが、最初から通帳や印鑑を渡され、金庫の開け方まで教えられました。

大丈夫かしら?と思ったそうですが、小松暢さんはこう言ったそうです。

「あなたが悪い人だったら、わたしの見る目がなかったと思ってあきらめるわ」

そんなさっぱりした性格だったようです。

高知から小夏という柑橘が届いたとき。やなせたかしさんが正しい向き方を正子さんに伝授します。

白いワタをつけたまま包丁で切るのですが、小松暢さんはみかんみたいに剥いて食べる、とやなせたかしさんが苦言を(笑)

横で「テヘっ」としたような顔で小松暢さんが笑っていて、フラットな夫婦関係なんだな、と正子さんは思ったそうです。

やなせたかしさんはみんなの前では「暢子」と呼び、スタッフたちには「カミさん」と言っていました。

ですが二人っきりになると「おぶちゃん」という愛称で呼んでいたそうです。

小松暢さんは「うちの人」と言い、ふたりのときは「たかしさん」と呼んでいました。

このころ小松暢さんはご自身の体調があまり良くないのに、いつもやなせたかしさんの心配をされていたそうです。

そして誰よりも、やなせたかしさんのことを理解されていました。

小松暢の病気と死因!最期とは?

病気・死因は乳がん

やなせたかしさん曰く、小松暢さんは行動力のある真面目な努力家。

学生時代は短距離走の選手で、年を重ねても本格的な登山を楽しんでおられたそうです。

そんな小松暢さんはある日体調を崩し、病院で乳がんを宣告されました。

入院したその日に手術をし、やなせたかしさんは医者からこう告げられます。

「長くてあと3ヶ月」

乳がんは全身に転移していて、手の施しようがないと言います。

深い悲しみと後悔がやなせたかしさんを襲いました。

仕事を続けながら、病室に通う毎日。本当のことを教えて、と言われても、癌のことは言えなかったやなせたかしさん。

落ち込むやなせたかしさんに気付いたのが、友人の漫画家、里中満智子さんでした。

小松暢さんが乳がんだと告げると、里中満智子さんもがんだったと告白。

驚くやなせたかしさんに、さらに驚くことが告げられます。

丸山ワクチン

里中満智子さんは手術をせず、丸山ワクチンを打ち続け、7年で癌が治ったというのです。

光が見えたやなせたかしさん。すぐに日本医科大学へ行き、丸山ワクチンをもらいました。

入院先で注射を打ってもらい、続けること1ヶ月で、やせ細っていた小松暢さんは30分歩けるまでに回復!

やがて退院され、1日おきに丸山ワクチンを打ち続けた結果、体重も元に戻っていきました。

丸山ワクチンは水と同じで、抗がん剤が効いたのだ、と担当医は言ったそうです。

丸山ワクチンとは皮膚結核の治療薬として誕生。皮膚障害のほか、神経障害などにも効果があったといいます。

丸山ワクチンを使っている患者に、がん患者が少ないことに気付き、複数の医師からもがんが縮小したという報告が入るように。

1960年から70年代に丸山ワクチンは広まり、いろいろな検証もされましたが、多くの医師はその効果を否定。

丸山ワクチンは健康保険適用にはならず、有償治験薬となっています。

最期

1993年の秋の園遊会にご夫婦で出席され、本来パーティ嫌いな小松暢さんさんもとても楽しんでおられたとのこと。

そんな小松暢さんを見て、やなせたかしさんは何より喜んでおられたそうです。

このころ小松暢さんは丸山ワクチンを止めていましたが、体調は良かったといいます。

丸山ワクチンは1日おきに通院する必要があり、医師からは水と同じと言われ、いつも注射してくれる看護師が交通事故で倒れるなどがあり、やめたそうです。

やなせたかしさんは丸山ワクチンを勧めましたが、小松暢さんは東京女子医大を信じると言い、抗がん剤治療に切り替えました。

ですが抗がん剤の副作用は強く、髪は抜け落ち食欲も落ちていきます。

やがて車椅子が必要になり、衰えていく小松暢さん。

1993年11月13日に急変し入院。丸山ワクチンを再開し、少し顔色が良くなったように見えましたが、医師からは絶望との宣告を受けました。

11月21日のよる、やなせたかしさんが出たテレビ番組をみて、はしゃぐ小松暢さん。

翌朝から意識不明となり、午後4時に心肺停止となりました。

父母や伯父、叔母、それに弟の誰の死に目にも会えなかったやなせたかしさん。

小松暢さんだけは最期を看取ることができました。

小松暢さんはやなせたかしさんに手を握られ、生涯を終えます。享年75歳でした。

その1か月後、愛犬も旅立ち、やなせたかしさんは著書にこう綴られています。

「愛犬家の暢が、一緒に天国へ連れて行ったのだろう」

まとめ

2025年3月31日から始まる、NHK連続テレビ小説「あんぱん」。

「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんと小松暢さんご夫妻をモデルにし、フィクションで描いた作品です。

今田美桜さん演じるヒロイン、朝田のぶのモデル、小松暢さんは1919年に大阪の池田家に生まれました。

大阪の女学校を卒業され、6歳年上の小松総一郎さんとご結婚。

終戦後すぐに夫が病死し、高知新聞に難関を突破し入社しました。

そこでやなせたかしさんと出会い、恋に落ちたふたり。

小松暢さんは別の男性から求婚されていましたが、選んだのはやなせたかしさん。

先に小松暢さんが上京し、その後やなせたかしさんも上京しご結婚♪

貧しくも幸せな結婚生活をスタートさせました。

収入のことを心配するやなせたかしさんに「私が食べさせる」と、いつも前向きに夫を支え続けます。

とても仲のいいご夫婦でしたが、小松暢さんは乳がんを患い、見つけたときには全身に転移。

余命宣告も受けましたが、丸山ワクチンを打ち回復に向かいます。

丸山ワクチンをやめ、抗がん剤治療に切り替えましたが、75歳でやなせたかしさんに手を握られ、天国に旅立ちました。

苦節の時代を小松暢さんに支えられながら乗り切り、「アンパンマンシリーズ」で脚光を浴びたのは、やなせたかしさんが69歳のときでした。

それから小松暢さんがお亡くなりになるまでの5年間、おふたりの時間を大切に過ごされます。

そんな小松暢さんをモデルにした、朝ドラ「あんぱん」ヒロインの朝田のぶ。

元気いっぱいのヒロインの登場です!

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