田安賢丸(松平定信)の蔦屋重三郎への弾圧とは?

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NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で寺田心さん演じる田安賢丸(たやすまさまる)のちの松平定信(まつだいらさだのぶ)の蔦重こと蔦屋重三郎との関係とは?田安賢丸(松平定信)の史実と蔦屋重三郎への弾圧などの実話をご紹介します。

目次

田安賢丸(松平定信)とは?大河ドラマ「べらぼう」で聡明な十代将軍・家治の従兄弟

大河ドラマ「べらぼう」とは?

2025年NHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」は、横浜流星さん演じる江戸のメディア王・蔦谷重三郎(つたや・じゅうざぶろう)の波乱万丈の生涯を描く物語です。

蔦重こと蔦谷重三郎は、江戸中期文化が華やぐ時代において、喜多川歌麿、葛飾北斎など世に有名な絵師らをプロデュースしたことでも知られる人物ですね。

物語の舞台は主に江戸の遊郭吉原ですが、要所要所で江戸幕府要人たちの姿も描かれています。

以下の記事では主人公・蔦重の年齢設定を時系列でご紹介しています。

べらぼう年齢設定は?蔦谷重三郎は何歳か時系列で

気になるTSUTAYAと蔦重の関係については、以下の記事でご紹介しています。

tsutayaと蔦屋重三郎の関係とは?蔦屋書店の社名の由来についても

物語は、蔦重が吉原関連本の出版に奔走する中、幼馴染の花魁・瀬川との恋愛が描かれたり、吉原の女郎の過酷な状況が描かれていることも話題に。

以下の記事では、蔦重とヒロインの瀬川との恋愛の今後についてご紹介しています。

蔦重と瀬川はどうなる?結婚や恋愛など今後のネタバレ【べらぼう】

田安賢丸(松平定信)とは?田沼意次と対立関係?

その中で登場しているのが、寺田心さん演じる田安賢丸こと、のちの松平定信です。

「御三卿」のひとつ田安徳川家の七男
のちに「寛政の改革」を行う“松平定信”
幼少期より聡明(そうめい)で、兄たちが体が弱かったため、若くして田安家の後継者、また、十代将軍・家治の後継と目されていた。陸奥白河藩の養子にむかえられ、幕政の中心から遠のくも、田沼意次の失脚後は十一代将軍・家斉の命で老中となり、寛政の改革を行う。寛政の改革では、風紀の取り締まりから蔦屋重三郎に厳しい処分を科すこととなる。

引用元:NHKサイト

物語中の江戸幕府将軍は十代・家治(眞島秀和)で、賢丸との関係性はいとこ同士になります。

賢丸は序盤から登場しており、第2話では子供が生まれて気分を良くして操り人形をしている一橋治済(生田斗真)を一喝!

武家が精進すべきは学問と武芸だと。

そんな賢丸を老中の松平武元(石坂浩二)はほめたたえ、一方で田沼意次(渡辺謙)を非難していましたね。

田沼は聡明な賢丸がのちに将軍家を継ぐことを快く思っていない様子で、白河藩が賢丸を養子として迎えたいと言う申し出を進めようとします。

しかし当の賢丸は養子に行くつもりなどさらさらありませんでした。

ところが、田沼が亡き将軍・吉宗の遺言書を偽造して、その言葉に促されるように賢丸は白河藩に養子に行くことを決意することに。

この一件から、賢丸は田沼のことを恨んでいるのだと思います。

3月9日放送の第10話では、白河藩に養子をに行く前に田沼への対抗策として、田安家の種をまこうと、妹の種姫を家治の養子にしようと動き出す姿が描かれることになりそうです!

そんな賢丸ことのちの松平定信についての、史実を以降で少しご紹介したいと思います。

田安賢丸(松平定信)の史実とは?田沼意次が失脚後に老中に!

将軍候補になるもののその道が絶たれる!

田安賢丸こと後の松平定信は、1759年に田安宗武(たやすむねたけ)の息子として江戸で誕生しました。

宗武は8代将軍・吉宗の次男なので、定信は吉宗の孫に当たります。

吉宗は将軍家に世継ぎが出来なかった時のために、自分の子孫たちを田安、一橋、清水家と分け、万一の時には分家から将軍を輩出できるようにしました。

世に言う「御三卿(ごさんきょう)」のことですね。

この御三卿の一つ「田安家」に生まれた定信は、幼いころから頭が良く、次期将軍候補としても名が上がるほどでした。

しかしときの老中・田沼意次は定信が将軍になることを快く思っていなかったようで、10代将軍・家治に定信を白河藩に養子に出すことを進言。

定信は養子に出されてしまい、将軍家を継ぐ道は絶たれてしまったのです。

その後、白河藩主となった定信は、浅間山の噴火がきっかけで全国で大飢饉が起きた際、領内で一人も餓死者を出しませんでした。

倹約を重んじて、備蓄などをしていたため、その政策が功を奏したのです。

田沼意次が失脚後に老中に!

そして田沼意次が失脚し、定信は幕府の老中首座に抜擢されることに!

田沼時代とうって変わり緊縮財政、風紀の取締を強化した定信。

歴史の授業でも習った「寛政の改革」のことですね。

しかしあまりにも厳しすぎるその政策は、市中の反発を招き、外国船も日本近海にやってくる中、定信は1793年に老中を罷免されたのでした。

そんな松平定信は、寛政の改革の一環で、蔦屋重三郎への苛烈な弾圧をしています。

以降で、蔦重への弾圧の詳細をご紹介します。

田安賢丸(松平定信)の蔦屋重三郎への弾圧とは?

改革を茶化した作品をヒットさせる!

蔦屋重三郎は、あるベストセラー作品を二つ世に送り出しました。

まずは、朋誠堂喜三二(ほうきどうきさんじ)の『文武二道万石通』(ぶんぶにどうまんごくとおし)です。

ちなみに朋誠堂喜三二はすでにドラマにも登場しています。

クレジットには名前は登場しても、どこにいるのかあまり分からないと言われている尾美としのりさん演じる平沢常富です。

元々は武士なのですが、社交場に必須の教養でもあった俳句の名手で、俳諧人としても名を知られた人物でのちに作家としてデビューすることになります。

果たして、いつドラマではっきりと登場するのでしょうかね(;^_^A

『文武二道万石通』はコミカルな内容が大人気となり、ベストセラーとなりました。

ストーリーは鎌倉時代にダラダラしていた武士が、突然の文武奨励の政策に慌てふためくというものです。

さらにこの作品で触発されて生まれたのが恋川春町(こいかわはるまち)の『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』ですね。

恋川春町を演じるのは岡山天音さんです!!

文武に励めと言われた侍の勘違いエピソードで、「馬術の稽古だ」と言う武士が実際に馬乗りした相手は、吉原の遊女たちだったというストーリー。

そんな、幕府を痛烈に皮肉った内容でしたが、これが空前の大ヒットとなります。

売れに売れて製本が間に合わなかったため、ついには印刷したての紙と本をとじる糸をセットにして販売するほどだったそう。

謎の死を遂げる作家!そして出版統制令で処罰

この蔦重が関わった二作品を快く思わなかったのが、風紀の取り締まりを強化していた松平定信です。

藩士だった喜三二は、藩主から叱責を受けて、黄表紙(江戸時代後期の小説のようなもの)から手を引くことに。

一方、春町は幕府から出頭命令が出るも病気と称して赴かず、その後謎の死を遂げました。

自殺したともいわれているそうです。

そして春町が亡くなった翌年、幕府は出版統制令を出し、風紀を乱す好色本(男女の色恋を描いた小説)の発行を禁じました。

ちょうどその頃、山東京伝(さんとうきょうでん)が蔦重と手を組み洒落本(遊里小説)を執筆しており、発刊されるも、出版統制令に触れたとして吟味を受けることになります。

判決は洒落本の絶版と、京伝は手鎖50日、蔦重は罰金刑に処せられてしまうのです。

蔦重はスケープゴートだった!

当時の江戸の出版における先駆者だった蔦重の処罰はいわゆる見せしめ。

今でいうところのスケープゴートだった蔦重の損害は計り知れないものだったと思います。

蔦重のみならず、他の出版を行う版元も自重せざる終えない状況となりました。

その頃、京伝の口利きで蔦重のもとには曲亭馬琴(きょくていばきん)が蔦屋の手代として雇われることに。

さらに十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が印刷の仕事にもかかわるようになり、蔦重は処罰にめげることなく、二人の才能を見出すことになります。

馬琴は世に有名な「南総里見八犬伝」、一九は「東海道中膝栗毛」の作者ですね。

幕府から苛烈な弾圧を受けるも、蔦重はその後も世に多くの才能をおくりだすことになるのです。

絵師の歌麿や写楽が本格的に活躍するのもその後のお話となります。以下の記事では歌麿や写楽?と言われている唐丸についてご紹介しています。

べらぼう唐丸(からまる)正体と将来の絵師のモデルが判明!歌麿か写楽?

まとめ

今回は田安賢丸こと松平定信の蔦重への弾圧についてご紹介しました。

世の風紀を乱す書籍を刊行した蔦重へ弾圧をおこなった松平定信。

しかしそれに負けずに、蔦重はさらに世に才能ある人物を送り込むことになるんです。

物語の中盤で描かれる松平定信の蔦重への弾圧のシーン!

見るのは少し辛いかもしれませんが、今からどのように描かれるか楽しみですね。

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